2023年10月10日

明治・大正時代の戦争と三瀬村

 明治時代は、まず明治27年(1894年)に日清戦争がありました。この戦争と三瀬村とは直接私が知ることはないのですが、その10年後の日露戦争、明治37、8年(1904年から)については、三瀬村からも何人もの人が出征して、7名だかの戦死者もあったとのことです。規模的には日清戦争はもちろん日露戦争も、後の戦争に比べればよほど小規模だったわけですが、人口比で言えば、三瀬村は多い戦死者かもしれません。一方、無事に凱旋した人ももちろんあり、私の生まれた今原の杉神社には、凱旋祝いの狛犬が寄進してあります。正に親戚の名前がそこに刻まれていて、いつもそれを見るとじーんと胸に迫るものがあります。

 この日露戦争では、明治37年(1904年)2月9日、朝鮮の仁川沖でロシアのコレーツ、ワリヤーグという二隻の軍艦を日本が沈めたのか攻撃したのがまずは戦争の始まりでした。それで、そのすぐ後、祖父嘉村忠吾の話によりますと、釜頭平(今のシルバーケアの辺りでしょうか)で戦勝祝いがあったそうです。その折のことを祖父は非売品の『忠霊塔』という本にこんな風に書いています。

「この頃、日露戦争の火蓋が切られ、『ああ壮絶、ああ滄海、旅順の港を閉さんと、五艘の船に打ち乗りて…』という広瀬中佐の唱がはやり、戦争が盛んになっていった。明治37年2月8日の緒戦に仁川沖で露艦コレーツ、ワリヤークの二艘が撃沈された。その頃新聞は村内に三部位しか来ず、私達にこの報せが入ったのは3月初め頃であった。4月に入ってから勝祝だ。校庭で松永如助の指導により、竹の骨に紙を張ってコレーツ、ワリヤークと書いた張り子を作り、これを追いかけて釜頭平に行き、火をつけて二艘を撃沈させた。また、宿の野中熊一郎の東の畑には芝居小屋が作られ、戦争芝居が大好評だった。……

 高等4年に上がった時、日本は戦争に勝った。明治39年5月、釜頭平に徳久曹長、中牟田軍曹、古川徳次郎軍曹その他がやって来て、凱旋祝があった。助役の松石庄三郎さんが祝辞挨拶に、『片や日本、片やロシア、行司アメリカルーズベルト、世界一の横綱同志の大角力も立行司ルーズベルトが「此角力余り長引きますので、行司預り、引き分けと致しまする」これが今度の戦争の有様だ。勝った、勝ったと浮かれてばかりは相成らぬ』というようなことを言われた。なるほど、その頃立派な考えを持っておられたものだと感心している。
 祝典の後余興があり、私は合瀬清臣と撃剣をした。ところが、この余興で大騒動がもち上がるとは誰も思いもよらなかったと思う。と言うのは、『福引き』という余興があり、平松の武本某に『夫婦げんか』というのが当たった。人々は景品に何が出るかと息を呑んだところ、牟田口作次校長、徐に壇上より、『夫婦げんかはヌレばよくなる』と、手の平いっぱいにつけておった墨汁を武本の顔に塗ったから、さあ大変。凱旋兵総指揮官の輜重兵曹長徳久岩吉烈火の如く怒り、名誉の軍人の顔に墨を塗るとはけしからぬと騒ぎたてたからたまらない。一同総立ちとなって大騒ぎ。遂に翌日先生達があやまり、事はどうにか収まったが、結局、牟田口校長は職を辞してアメリカへ。大坪喜三訓導先生も転勤した。」
 問題発言をされた校長先生もアメリカへ行かれたとは、なかなか大したものです。

 こんな具合に、まだまだその時代の戦争は規模的にも比較的小さくて、三瀬村の人にはピンとこなかった部分も多かったのではないでしょうか。しかし、その後、第一次大戦には私の父親の父が青島(チンタオ)の攻略戦に出征し、無事にこれまた日本はほとんど苦労することなく、青島を攻略しましたから無事に帰ってきたわけですが、後の第二次大戦以降に比べれば、よほど規模的には小さいものだったのだろうと思います。そうしたことが、かえって後の大戦争を引き起こす一つの遠因になったのかもしれません。そんな意味で、三瀬村の中にも、すでに明治時代からそうした日本の戦争と関わる人々がいたことを覚えておいた方が良いように思います。


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2023年10月10日
嘉村孝
(三瀬出身。東京で「葉隠フォーラム」という名の歴史学者参加の勉強会を主宰。毎月開催で250回を数える。)
http://hagakurebushido.jp/

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Posted by みつせファン  at 23:00 │嘉村孝