2021年08月19日
三つの川
この度の豪雨災害に遭われた皆さまお見舞い申し上げます。
以下のコラムは、6月に取材して7月に執筆していたものです。
増水している河川へは決して近づかないようにお願いをいたします。
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あるとき、仕事でお世話になっている七十歳くらいの三瀬の方に、
「三瀬っていう地名の由来は何ですかね?」
と訊いたところ、
「三つの川が集まっているところ」
と即答だった。
考えるそぶりがなかったので、簡単な、しょうもない質問だったのだろう。さすが三瀬を代表する方だなと思った。
そして、三つの川の名前を僕に教えてくれた。
高瀬川、鳴瀬川、初瀬川である。
そのときの話はそれっきりで、三つの川のことを思い出すことはなかったのだが、三瀬で仕事をする機会が増えてきたので、改めて三瀬のことを考えてみる。
三瀬のことはなんとなくは知っているつもりではあるのだけれど、目の前に浮かぶ三瀬というと、蕎麦店やどんぐり村、やまびこの湯といった店や施設のことであり、国道264号線沿いの光景ばかりだ。もしかするとこの文章を読んでいる方もそういう人が多いかもしれない。
そこで冒頭の三つの川についてだ。
三瀬の由来にもなった三つの川が高瀬川、鳴瀬川、初瀬川というのは知った。
知ったけれども、さてどこにその川があるのか? どの川が高瀬川なのか? 初瀬川、鳴瀬川なのか? やまびこの湯の露天風呂の向こう川に流れる川は、どの川なのか? あの蕎麦屋さんの裏手に流れる川はどの川? となると、もう答えられない。
果たして僕は、三瀬の何を知っているのか? どこを知っているのか? と自問する。
二十代のころから数えると、福岡への行き帰りに、何百回と三瀬は通っているのだけれど、ほとんどが通りすがるだけで、車を停めて立ち止まることすら少なかった。
「三っつの川を見ずして三瀬を語るべからず」
というわけでもないのだけれど、三瀬のことをさらに深く知るための一歩として、三瀬の三つの川を巡ってみることにした。
六月某日。
三瀬在住の方に案内をしてもらい、まず、高瀬川に行ってみる。やまびこの湯の看板が見える近くの橋を目指す。

この橋の下に流れるのが高瀬川だ。



川幅は狭く、車を停めてまで眺めることのすくない川だと思うが、この川が三瀬を代表する川だと知ると、見る目も変わる。
次回へと続く。
2021年8月15日
川浪秀之(Webプロデューサー、作家)
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三瀬のおと(佐賀県三瀬村のコラムやエッセイ)
三瀬村・里山の恵み みつせファン https://mitsusefan.com
以下のコラムは、6月に取材して7月に執筆していたものです。
増水している河川へは決して近づかないようにお願いをいたします。
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あるとき、仕事でお世話になっている七十歳くらいの三瀬の方に、
「三瀬っていう地名の由来は何ですかね?」
と訊いたところ、
「三つの川が集まっているところ」
と即答だった。
考えるそぶりがなかったので、簡単な、しょうもない質問だったのだろう。さすが三瀬を代表する方だなと思った。
そして、三つの川の名前を僕に教えてくれた。
高瀬川、鳴瀬川、初瀬川である。
そのときの話はそれっきりで、三つの川のことを思い出すことはなかったのだが、三瀬で仕事をする機会が増えてきたので、改めて三瀬のことを考えてみる。
三瀬のことはなんとなくは知っているつもりではあるのだけれど、目の前に浮かぶ三瀬というと、蕎麦店やどんぐり村、やまびこの湯といった店や施設のことであり、国道264号線沿いの光景ばかりだ。もしかするとこの文章を読んでいる方もそういう人が多いかもしれない。
そこで冒頭の三つの川についてだ。
三瀬の由来にもなった三つの川が高瀬川、鳴瀬川、初瀬川というのは知った。
知ったけれども、さてどこにその川があるのか? どの川が高瀬川なのか? 初瀬川、鳴瀬川なのか? やまびこの湯の露天風呂の向こう川に流れる川は、どの川なのか? あの蕎麦屋さんの裏手に流れる川はどの川? となると、もう答えられない。
果たして僕は、三瀬の何を知っているのか? どこを知っているのか? と自問する。
二十代のころから数えると、福岡への行き帰りに、何百回と三瀬は通っているのだけれど、ほとんどが通りすがるだけで、車を停めて立ち止まることすら少なかった。
「三っつの川を見ずして三瀬を語るべからず」
というわけでもないのだけれど、三瀬のことをさらに深く知るための一歩として、三瀬の三つの川を巡ってみることにした。
六月某日。
三瀬在住の方に案内をしてもらい、まず、高瀬川に行ってみる。やまびこの湯の看板が見える近くの橋を目指す。

この橋の下に流れるのが高瀬川だ。



川幅は狭く、車を停めてまで眺めることのすくない川だと思うが、この川が三瀬を代表する川だと知ると、見る目も変わる。
次回へと続く。
2021年8月15日
川浪秀之(Webプロデューサー、作家)
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2021年08月03日
三瀬村のファンになった日

私がテレビのディレクターとして、はじめて三瀬村を訪れたのは今からちょうど五年前の夏でした。
九州の大都市、福岡県と隣接する自然豊かな観光地、県民からは佐賀の軽井沢とも呼ばれる避暑地。当初、三瀬村にはそんなイメージがありました。
「お盆過ぎくらいには朝方には毛布がいるようになる 結構、冷えるんよ」
最初に話を聞いた村の男性の言葉は衝撃でした。平野部では数分、外にいるだけで汗が噴き出すような暑さが続いていた時期です。しかし、その寒暖差のおかげで紅葉もきれいだと言います。
「紅葉ばかりじゃない 夏にはブルーベリー、秋は米にりんご、冬は里芋と、とにかくいろいろおいしいものがある」
佐賀市中心部から車でわずか40分の距離に、そんな魅力的な村があるのだと、私は好奇心をかき立てられました。
調べていくと三瀬村は脊振山系の裾野にあり、人々は標高380m~550mに広がる盆地に暮らしていることが分かりました。米作りが盛んで、昭和40年代前半までは冬場に炭焼きも行われていたそうです。
そして今の三瀬村になった背景には、いくつかの歴史的な出来事がありました。その一つは昭和46年の減反政策です。米の専業農家が多かった三瀬村では、この国策によって生業の大きな転換を迫られました。そして昭和61年には三瀬トンネルが開通します。福岡県から多くの人たちが訪れる予感に商機を見いだし、観光りんご園やハーブ園を始め、野菜の直売所や観光牧場どんぐり村なども次々と生まれ、今の三瀬村となりました。
村のどんなところに魅力を感じているのか、観光客に話を伺ったことがあります。
自然が美しい。食べ物がおいしいと人々は様々な理由を挙げます。
その中で一人、「三瀬には“本物”がある」という人がいました。行楽シーズンには毎週、福岡から子ども連れで遊びに来るという男性でした。
「「“本物”」とは何ですか?」
と聞くと、
「作られすぎてない魅力があるんですよね 人間らしいというか・・・」
と言いながら、男性はなかなか言葉に出来ない様子でした。しかし、その男性が言わんとした魅力は、長く三瀬に関わる中で少しずつ私にも分かるようになりました。
厳しい自然の中、四季折々、田畑に出て季節の野菜を育てて食べること。集落で助け合い、水路を掃除して田に水を引くこと。そんな仲間と共に300年以上前から伝統行事を受け継いできたこと。山仕事に入るときには作業の無事を願い、御神酒を捧げて山の神様に祈ること。それはすべて三瀬村の人たちが大切に受け継ぎ、日々の暮らしの中で当たり前にやってきたことです。そして、観光客がなかなか知り得ない部分です。しかし、その暮らしで育まれたものは村の人たちの人としての魅力ににじみ出、訪れる人たちを魅了しているのだと知りました。
何度か通って顔なじみになると、すぐに「野菜を持っていかんね」と自宅で採れた農作物をプレゼントするような、ただの客としては割り切れない村の人たちの親愛の情。その根底には厳しい自然環境の中で助け合って生きてきた村の人たちが持つ共助の精神。そんな村の人たちの営みに触れたとき、私は、“本物の人間らしさ”に感激したことを昨日のことのように覚えています。
三瀬に行き、物に触れ、人と出会う度に元気づけられる。
今では仕事が特にない日でも、時間が空けばすぐ「今日、三瀬に行ってみようかな」と思う自分がいます。知らない間にファンになってしまう。三瀬はそんな村なのかもしれません。
2021年8月1日
樋口浩一(映像ディレクター)
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